●四国遍路 第八十八番札所  大窪寺 【 おおくぼじ 】 2009.11.30更新

 

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香川県さぬき市 大窪寺本堂 11月16日・撮影



八十八番札所大窪寺の「御納経」


結願(けちがん)成就。
四国八十八ヶ所の霊場をすべて回り終えた。とはいっても,区切り打ち
(*)で,ほとんど車だったから,いわゆる観光遍路である。白衣(びゃくえ)も金剛杖も菅笠もなしで,納経帳とカメラだけ持った単なるスタンプラリーのようなものだった。
だが,今回は遅ればせながら,殊勝にも経本を買い求め,半分ほど覚えた「般若心経」をおぼつかないながらも唱えてみた。寺の宿坊にもはじめて泊まってみた。もちろん早朝のお勤めもした。よい経験になった。本堂 御影堂に響く僧侶たちの読経の声は,得もいわれぬ合唱のようで,美しくハモっていて,ときに輪唱のようにも聞こえた。これを“法悦境”というのかも知れないと思った。
そして,不思議な出来事があった。59番札所の伊予国分寺でのことだ。ここには「握手修行大師」という石像があり,握手しながら願い事をかけることができるのだが,わたしがお大師様と握手して,ある願い事をしていたとき,石像のお大師様がなんと,まばたきをしたのである。本当である。エッ!と驚き,しばらくしてまた握手してお大師様の目をじっと見ていたのだが,何ともない。そして,わたしが目をそらしたその瞬間,なんと,またパチリとまばたきをされたのである。本当である。少なくてもわたしには明らかにそう見えたのである。驚くというより,ちょっと気味が悪いような感じさえしたくらいだった。
実は,この国分寺に遍路で来たのははじめてではなかった。2回目なのである。握手大師と握手したのも2回目である。数年前,1回目にここに来たころ,わたしはかなり凹んでいた。おまけにかなり貧乏だった(今も貧乏だが…)。そんななか,門前で,年老いて痩せたお遍路が薄汚い身なりで托鉢をしているのを見た。本当のお遍路かどうかもわからないような感じだった。わたしは施しや寄付というものをまずしないほうだった。むしろ自分のほうがいただきたいと思っている口だった。だが,その爺さんのお遍路を見たとき,わたしは居たたまれなくなり,わけもなく衝動的に,なけなしの千円札を小さく折りたたみ,鉢の中に入れた。貧乏で,おまけにケチなわたしが,千円札とは,信じられないほどの大盤振る舞いだった。前回来たとき,そんな施しをしたことのあった国分寺だから,お大師様もまばたきしてくれたのかも知れないななどと,たわいもなく考えてそれまでだった。
その日の夜は,善通寺の宿坊に泊まった。翌朝のお勤めが終わった後,僧侶が御影堂の薄暗い奥深くに飾られている弘法大師直筆の自画像である「大師像」のことを説明してくれた。(歴史書や教科書に出てくる弘法大師はだいたいこの絵である。)83代土御門天皇が拝覧したとき,この大師像がパチリと瞬きをしたのだそうだ。天皇は驚き,今も生き続けていらっしゃる大師と敬い,「瞬目(めひき)大師」の尊号を与えたという。この話を聞いたとき,わたしはハッと驚いた。弘法大師の像が,瞬きをして,見る者に何らかの合図を送るという言い伝えなど,それまでわたしはまったく知らなかったのだ。だが,昨日からの一連の不思議な出来事は,まさにズバリこれにあてはまるではないか…。すごい。ありがたいことである。
僧侶の説明は,そこから「瞬目大師御守護」にうつった。金色のお大師様と後方より光明を放つお釈迦様を描いた円形の御守護が1個二千円だそうだ。わたしは同行の人に,これは何かの深い縁だから,今すぐ,ここで,絶対に買うべきだ,頼むから買ってくれと言った。同行の人は実に素直にできているので,すぐに2個を買い求め,「これはあんたの御守り」と,わたしに1個くれた。ありがたいことである。
かつて,お遍路の爺さんに千円施し,それが数年後に2千円の「瞬目大師御守護」になったのだから,ありがたいことだ…。まあ,こんな金勘定してるようでは,まだまだだな…。
次は高野山に納経帳を持って報告に行き,満願成就となる。
さて,その次は,本当の本物,苦行の「歩き遍路」が待っている。

○今回の遍路メモ(走行距離…約630km)
11月14日(土)…松山空港→八坂寺(47番)→浄瑠璃寺(46番)→大寶寺(44番)→岩屋寺(45番)→国分寺(59番)→(善通寺内の大師の里湯温泉)
11月15日(日)…善通寺(75番)→曼荼羅寺(72番)→熊谷寺(8番)→法輪寺(9番)→切幡寺(10番)→焼山寺(12番)→(神山温泉)
11月16日(月)…太龍寺(21番)→鶴林寺(22番)→大窪寺(88番)→(塩江温泉)→高松空港

*(何回かに分けて歩くこと)

今,高群逸枝著「娘巡礼記」(岩波文庫)を読んでいるのだが,実におもしろい。若い人が,しかも女性が,その場で,同時進行で書いた紀行文は,荒削りでも,すごい迫力と逼迫感がある。逸枝24歳,大正7年の新聞連載である。

(2009.11.17,25,28更新)

 


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