サクラソウ【桜草】

04SAKURASOU.JPG

埼玉県田島ヶ原・5月3日撮影

鍵の花

江戸の春には、桜草売りの売り声が聞こえない日はなかったという。桜の花が散り、花見のにぎわいも遠ざかったころ、このサクラソウの花は咲きはじめる。
徳川家康がいまの北区浮間ヶ原に鷹狩りに出掛け、そのとき目に止まって持ち帰ったのが、江戸の桜草栽培のはじまりといわれている。

野生のサクラソウは、荒川下流から中流の戸田ヶ原、浮間ヶ原や、浦和の田島ヶ原などの湿地に群落をなして咲いていたという。しかし、今ではその田島ヶ原だけが自生地として保護され、4月中旬ごろから赤紫色の花を楽しませてくれる。

草丈は15cmほどだが、花をつける茎はさらにすらすらと伸びる。花の直径は2〜3cmで、五弁の花びらの先が少し切れこみ、その名のごとくサクラの花びらを思わせる。
野生の花はほとんどが赤紫色だが、それこそ何百種とある園芸品種には、白、紅、黄色や変わり咲きもあり、江戸庶民の春を今に伝えている。ヨーロッパ産をプリムラという。

この花の花言葉は、「希望」。ギリシャ神話にちなんで「青春の悲しみ」というのもある。ドイツには「鍵の花」の別名がある。
サクラソウの咲く道をたどれば、花の精が住む古城にいたり、城門の扉を開ける鍵がこのサクラソウの花なのだという。
花の精に会うと、もちろん宝物が好きなだけ、どっさり、がっぽりもらえ、幸せになるという言い伝えである。

そういえば、最初の住まいは浮間ヶ原に近い赤羽だった。風呂もない小さなアパートだった。そこで最初の子が生まれた。休日に、その子をおんぶして田島ヶ原までサクラソウを見に行ったことがあった。あれから歳月は随分流れた。あのときのサクラソウの鍵は、どこにしまいこんでしまったのだろう。花の精さん、よろしくお願いします。

(2000.4.25)

*

表紙へ  ←一覧へ

inserted by FC2 system