ナラタケ【楢茸】 

山梨県南巨摩郡・10月23日撮影

 

異界からの贈り物

秋になると、毎年キノコ狩りに行った。ナラタケ、クリタケ、イグチ、ムラサキシメジなど、地元の人たちが採るものにしか手は出せなかったが、半日も山の林の中を歩けば、篭はあふれるほどに一杯になった。
付け焼き、あえ物、うま煮、みそ汁などにして食べると、その香りと歯ごたえは格別だった。大きいものはグラタンにし、たくさん採れたときは塩漬けにした。
しかし、いつごろからか、キノコ狩りに行かなくなってしまった。それは多分、私が生半可な知識から、一昼夜カンペキにブッ倒れてからだろう。
「茎が縦に裂ければ食べられる」とか、「毒キノコの色はけばけばしい」とか、「ナスと煮れば毒が消える」といった言い伝えは、どれもまるっきりの迷信である。

写真のナラタケは、広葉樹林内の切り株や倒木によく生える。でも、これだけ大きな群生は、めったにお目にかかれないと思う。この群生を見つけたときは、とにかくハッと驚いた。そして、すぐさま、異様なまでに気が高ぶり、興奮した。それは、労せずして突如大量の獲物を目の前にしたときの、動物的な驚喜と興奮なのかも知れない。

しかし、茸という代物は、一筋縄ではいかない。
このナラタケの群生をじっと眺めていたときも、なんだか気味が悪くなって、ゾッとしたのを覚えている。茸には得体の知れない奇怪さが秘められているようでならない。
薄暗く湿った場所で、朽木や腐土から養分を摂って育つのに、食べると酔うようにうまい。
その姿はお伽の国から来たかのように可愛らしくも見えるのに、猛毒の輩を引き連れている。なかには幻覚を弄ぶ者、お笑いを得意とするものまでいる。
花も咲かなければ、種子もない。マイクロメートル単位の微小で無数の胞子が空気中を浮遊し、いつも餌食を探している。大木とて、この胞子に目をつけられれば、ゆっくりと菌糸に呪縛され、やがて確実に命を終わる。そして朽ち果てても、亡きがらからも容赦なく養分を吸いとる。
地球上が落ち葉と遺骸と糞であふれないのは、彼らのおかげである。それによって、生きとし生けるものは、土に還る。
樹木が生ならば、茸は死を意味しているような気がする。森の中では、生と死は交錯している。両者はまるで日常のように寄り添い、共存している。矛盾した言い方だが、「共生」していると言ったほうがしっくりくるようなときさえある。
茸はきっと、異界からの贈り物なのだろう。やはり、心して食べるべきなのだろう。

(2000.10.27)

一覧へ

inserted by FC2 system