付着する
冬の森の中は静かだ。雪が音を吸いとっているかのようだ。ここでは、静かすぎて耳が痛くなりそうになる。 音のない世界では、物は静寂にだまされて動きを止め、僕らは時が止まったかのように錯覚する。 だから、ふだんは見向きもしないようなものが、細部にわたって克明に見えてくる。何の変哲もないものが、深い意味を帯びて迫ってくる。しかし、その意味はわからない。ただ、奪われ、失われたものが、痛みとして立ちもどるだけである。
木は生まれ落ちた地で育ち、生涯動くことがない。 生まれたそこで、何十年、何百年と育ち、やがてそこで終わる。 遠くの別の世界を見ることも、知ることもない。 なかには天高く伸び、はるか彼方を望み見るものもあるかも知れない。しかし、別の地で生きることはない。 森の中をかけまわる動物や空を飛ぶ鳥を見ている木は、どこか夢見るようで、寂しげでもある。しかし、木はもっとも厳しい季節にあっても、それを一言も語らない。木々はじっと立っているだけである。
木は知っている。大地に根を下ろし、大地から逃れられない自分の体の表面にも、さらに付着して動かぬ生き物がいることを。樹皮を覆い、木を抱くようにさまざまなコケが生存していることを。だから、木は決して寒くはないのだろう。 さらに不思議なことには、このコケ自身も菌類と藻類が共生して体がつくられている地衣植物であるということである。
生物界では、ミクロの世界までたどっていっても、個体の孤立は許されていないのかも知れない。
(2002.2.26更新) |