キリギリス 【 螽斯 】
山梨県南巨摩郡・9月撮影
しのびよる秋風
昼間、草むらの中から、チョン!ギース、チョン!ギースと、虫の鳴き声が聞こえてくる。夜に鳴くスズムシやクツワムシのような美声ではないが、独特な鳴き声はキリギリスだなと、親しみを感じる。
(2002.9.28更新)
ときどきとぎれる鳴き声をたよりに、草むらの中を探してみれば、すでに褐色に近くなったキリギリスが、しきりに鳴いている。ふりしぼるような蛮声からは、一心に生きるキリギリスの姿がひしひしと伝わってくる。勤勉家のアりさんの忠告など、とても届くはずがない。壊れたバイオリンを片手に、松葉杖をつきながらアリの家を訪ねる、あのイソップ物語のキリギりスは、あまりにも人間臭い。
昆虫たちの一生は、厳然たる大自然の掟にしたがって、生まれ、愛し、死ぬ、ただそれだけであろう。しかも、それを何億年もの間、同じようにくり返している。擬人化した人間的な解釈など入りこむ余地はないはずだ。そんな見方は虫たちからすれば不当だろう。ところが、ふと虫の姿が目に止まり、それに見入っているとき、わたしはやはり虫に人間の姿やその時々の自分の気持ちを重ね合わせて見ていることに気づく。生き物の場合、そのものをそのもの自体としてとらえるのは、意外に難しいような気がする。いや、私に客観的な観察力がないだけなのかも知れないが、虫は単なる媒介となり、虫ではない別の何かに見入り、感じ入ってしまっているような気がしてならない。