四国八十八ヶ所遍路(7結願

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遂に四国八十八ヶ所のすべての札所を歩いた。
四国一周、およそ1400kmの歩き遍路を結願した。
つきなみな言い方だが、我ながらよく歩いたものだ、よくぞ歩けたものだと感心する。
思い起こせば、2017年5月、ふと思い立って四国巡礼の旅に出た。
あれから2年半、7回に分けての区切り打ちで、やっと一周できた。

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第38番札所 金剛福寺 【 こんごうふくじ 】 本堂



高知県土佐清水市 足摺岬  2019年10月25日・撮影

 今回の遍路は、前回途中で終わってしまった高知県土佐清水市の下ノ加江から歩き始め、足摺岬の第38番金剛福寺、39番延光寺を打ち、スタート地点の愛媛県伊予の国第40番観自在寺にお参りして、まさに一巡した。

しかし、実を言うと、これまでにいろいろな都合で部分的に歩いていないところがあったのだ。別に完全主義者というわけではないが、やはり終わり?が近づくにつれて、なんとなく気になるようになるものだ。
そんなわけで、今回のお遍路の後半は電車やバスで移動して、抜けていたところだけを拾うようにして歩き、歩き遍路の線をつないだ。そういう言葉があるかどうか知らないが、“繋ぎ打ち”をしたわけである。

14泊15日、テント6泊、善根宿2泊、素泊まりゲストハウス5泊、遍路旅館1泊。初日だけは土砂降りのずぶ濡れで大変な目にあったが、他は大体よい天気に恵まれ、歩き遍路の足跡はきちんと
円環”をなした。だから、これで本当の結願である。
 (2019年11月11日〜 更新)

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●今回歩いた部分と参拝した札所
・高知県土佐清水市下ノ加江 小方第2バス停から、足摺岬を経て→愛媛県愛南町御荘 平城札所前バス停まで
(38番金剛福寺  39番延光寺  番外月山神社  40番観自在寺  おまけ:一本松温泉・入浴)

・愛媛県西予市宇和町 JR予讃線卯之町駅から、久万高原を経て→愛媛県松山市浄瑠璃寺町 浄瑠璃寺バス停前まで
別格第8番十夜ヶ橋 永徳寺    44番大宝寺  46番浄瑠璃寺  おまけ:道後温泉・椿の湯入浴)

・愛媛県松山市和気町 JR予讃線伊予和気駅から→愛媛県今治市大西町 JR予讃線大西駅まで

(53番円明寺  番外遍照院     番外青木地蔵)

・香川県観音寺市 乗り合いバス(粟井姫浜線)終点谷口(奥谷)から→雲辺寺までと、雲辺寺ロープウェイ山麓駅から→香川県観音寺市 萩原寺過ぎまで

(68番観音寺  69番神恵院  66番雲辺寺
 別格第16番萩原寺)

・香川県善通寺市 JR土讃線金蔵寺駅から善通寺、金蔵寺駅からJR予讃線多度津駅まで
(76番金倉寺  75番善通寺  77番道隆寺  
おまけ:金刀比羅宮、高松城跡、栗林公園)

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ヘンロ小屋 第20号 足摺 【 おおどトンボ公園 】



高知県土佐清水市足摺岬  2019年10月25日・撮影

このヘンロ小屋(四阿屋)の中にテントを張って泊まる。
今回は愛用の超軽量1人用自立型ツェルト(ポールと袋を含めて600g)とシュラフ、エアーマットを持ってきた。
できる限り野宿をして宿代を浮かせようという魂胆である。でも、ガスコンロや食器などの炊事道具は一切持ってこない。自炊をしないことで、荷物の軽量化を徹底する。
食料はコンビニや売店で買うか食堂で食べ、毎日その都度、場当たり的に現地調達する。
もちろんビールも…。まあ、それでなんとかなった。

だが、ここの小屋は、食料を足摺岬の町のなかで買ってこないと近くには何もない。飲み物の自販機はあるが、水道はない。管理小屋の隣りに、山から引いた簡易水道のようなものがあったが、果たして飲めるかどうか保証の限りではない。
目の前の海にきれいな夕日が沈み、あたりも暗くなったころ、ビールも飲み終わったし、そろそろ寝るとするかと、テントの中に入ってゴソゴソやっていると、暗闇の向こうから大きな人影が近づいてきた。なぬっ? 誰だ! これからここに泊まるつもりなのか? 外国人だった。なんとなく、姿形からあの男だなと分かった。
足摺岬の町のなかの売店と酒屋でオイラの前にお総菜やビールを買っていた壮年の外国人がいた。なにやら他の公園で泊まろうとしたら、追い出されたらしい。でも、怒っているようでも、焦っているようでもなかった。平然としていた。
木の床の上にはオイラがもうテントを張っているので、あなたが寝るところはここだよとコンクリートの土間の上を示してやると、英語でなんかいろいろ言ってきたが、意味がよく分からない。でも明らかにご不満のようすなのである。
しまいにはオイラのテントの奥側のわずか幅50cmほどの隙間を何度ものぞき込み、そこに寝ようとし始めたのだ。いくらなんでも大男がそれは無理だろう…と、テントのひもをほどいて奥に引っ込め、なんとか木の床の上の手前に空きスペースを作ってやった。
すると、彼はうれしそうに「OK」と言った。西洋人には、「先着者優先」とか「早い者勝ち」という発想はあまりないのかも知れない。「後から来た人にも平等に権利がある」と、ふつうに考えるのかも知れない。
そしてエアーマットとシュラフを広げた。それだけだった。彼はテントを持っていなかったのだ。そうだったのか…。コンクリートの土間の上に寝るのはさすがにイヤだったのだろう。

翌朝、そのイタリア人に缶コーヒーのお接待をしてあげた。日本国民を代表して…。もちろん彼もお遍路だった。名刺代わりに納め札の交換をした。イタリア北部のVERONA(ヴェローナ)の人だった。
ザックにはスペイン・サンティアゴ巡礼のホタテ貝の御守りが結びつけられていた。遍路は半分ほどまわったが、今日でイタリアに帰るのだそうだ。一夜の付き合いだったが、わけもなく、ふと寂しい感じがした朝だった。




ヘンロ小屋 第35号 土佐清水 【 道の駅めじかの里 】



高知県土佐清水市三崎 2019年10月26日・撮影

この四阿屋の中にテントを張って泊まった。1人だった。
道の駅は食堂や売店(お総菜は閉店の5時近くは半額)が充実していてとても良いが、
アルコール類を1滴も売っていないのが玉にキズ。



ハマアザミ 【 浜薊 】



高知県大月町小才角(こさいつの)  2019年10月27日・撮影

海岸の砂地や砂浜にふつうに生える。高さは花の頃には50cmくらいになる。
葉はテカテカしていて光沢があり、縁は刺のようになっていて触れると痛い。
伊豆半島以西、四国、九州によく分布。



(番外) 月山神社 【 つきやまじんじゃ 】



高知県大月町月ヶ丘  2019年10月27日・撮影


月山神社への遍路道は、海岸線ルートだが、いきなり墓地の急な階段から山道へ入り、かなりキツイ。
古来より、足摺岬の金剛福寺を打った後はこの月山詣りか、
39番延光寺を打った後に篠山(ささやま)神社詣りをするのが習わしだったという。
月山神社への道は、“古(いにしえ)の道”とか呼ばれる山道のルートが作られているが、荒れているところもあり、分かりにくい。
原則として、山の中の古道を歩いていったのだが、最後は丸太橋が壊れ落ちていて、それ以上はとても進めなくなってしまった。滝のあるようなところで、強引に海岸線の道路に下りた。この辺は、古道より道路を歩くのが賢明なのかも知れない。




休憩所しんきん庵大月  道の駅大月・ふれあいパーク大月



高知県幡多郡大月町弘見 2019年10月28早朝・撮影

この休憩所の四阿屋はバス停を兼ねている。だからこの中にテントを張るのはちょっと気が引けた。でも、もう午後5時を過ぎて薄暗くなっている。道の駅の店も閉めた。
1個所だけ灯りがついている事務所のようなところがあった。
ここに泊まることには決めたが、お願いというか許可を取っておくべきかどうか迷った。夜になってから、テントでの宿泊はダメ! なんて言われたら困るし、いい年をしてトラブルは避けたいし。無断で泊まるより、まあ一応あいさつしておくべきだろうと出向いてお願いをすると、二人の男の人はキョトンとした顔をして、ちょっと間をおいてから、「どこから来ました?」と私にきいた。
私は「東京から…」と言うと、またちょっと間をおいてから、「なるほどねえ…、このへんじゃあ、泊まるのにいちいち断る人はいないよ。みんな勝手に泊まってるよ。」と、気さくに応えてくれた。私は内心助かった…と思った。さすが
土佐っぽ”。“いごっそー”でなくてよかった。これで安心して眠れる。
ヘンロ小屋や休憩所にテントを張って泊まるのは禁止で、夜になるとどこからともなく誰かが出て来て追い出される。という話がまことしやかに語られているが、どうやらいわゆる“都市伝説”のようだ。もちろん酒飲んで騒いだり、ゴミを散らかしたり、何日も泊まり続けたりすれば、たとえ四国であっても、お遍路であっても、注意されたり追い出されたりするのは当たり前のことだ。
まあ、それはそれとしても、ここは国道321号線に超接していて車の量が非常に多い。正直いって眠れなかった。思い切って大胆に、道の駅の中の軒下にテントを張ったほうがよかったのかも知れない。なんといっても、夜中に目の前に高速バスが停まって、人が乗り降りしているのを見たときはさすが驚いたぜ。
 
 





ヘンロ小屋 第33号 宿毛 【 宿毛大橋のたもと 】



高知県宿毛市中央 2019年10月28早朝・撮影

ここに荷物を置いて、39番延光寺をピストンし、再びここに戻ってテントを張って泊まった。
この日は、キャリーバックを引いたプロのお遍路さんらしき人も私の隣りにテントで泊まっていた。だが、ついぞ顔を見ることはなかった。
この日、宿泊者は4人だった。人気のある泊まり場所のようだ。
近くにトイレ、売店、酒屋があり、とても便利だが、車の騒音はやはりマックス




第39番札所 延光寺 【 えんこうじ 】 本堂



高知県宿毛市平田町中山  2019年10月28日・撮影



第40番札所 観自在寺 【 かんじざいじ 】 本堂



愛媛県南宇和郡愛南町平城 2019年10月29日・撮影

遂に四国一周を成し遂げた。記念に通夜堂に泊めさせてもらおうと思ったら、なぜかやっていなかった。
その代わり、ベットだけの素泊まり部屋を2人で相部屋で、1人2000円という宿泊ができた。助かった。




別格第8番札所 十夜ヶ橋 【 とよがはし 】 
永徳寺



愛媛県大洲市東大洲 2019年10月31日早朝・撮影

この橋の下に泊まった。お大師様にあやかって…。
今は、真上に国道56号線が走り、すぐ隣には松山自動車道、さら向こうにはJR予讃線が通っている。
まだ寒くはなかったが、一夜が十夜にも思えるほどの騒々しい寝場所だった。耳栓が役立った。
写真の右は、相変わらずドッチラケのオイラの超軽量ツェルト。




千人宿大師堂
 【 せんにんやど だいしどう 】



愛媛県喜多郡内子町大瀬東 2019年11月1日早朝・撮影

このお堂に泊めさせてもらった。隣、向かいの「やなせうどん」にお願いする。
電灯もコンセントも蒲団もある。ただしトイレはないから、やなせうどんの裏手の外厠を借りる。
やなせうどんの人は、ちょうど柿の出荷で夕方まで大忙しだった。
お接待で1個もらった。大きくて立派な甘い柿だった。
朝は暗いうちからうどんを作っていた。大変そうだった。




第44番札所 大寶寺 【 だいほうじ 】 本堂



愛媛県上浮穴郡久万町  2019年11月2日・撮影


「朝まゐりはわたくし一人の銀杏ちりしく  山頭火」

境内に種田山頭火の句碑がある。私も霧の立ちこめるなかの朝参りだった。



弘法大師像
 
【 こうぼうだいしぞう 】
 
第44番
大寶寺



愛媛県上浮穴郡久万町  2019年11月2日・撮影

古いものではないようだったが、「さあ、参るぞ」と、力強い声をかけられたような気がした。



休憩所 遍路の案山子 【 かかし 】 国道33号線・久万街道沿い



愛媛県上浮穴郡久万町  2019年11月2日・撮影

よく見ると、この案山子?はかなり怪しい。
お遍路さんは居眠りなのか、うっとりしているのか、目を閉じて隣の女の人の手を握っている。
女の人はお遍路さんではない。休憩所のお姉さんかおばさんといった感じで、男のお遍路さんを横目でじっと見ているではないか。
このあと、ふたりはどうなるのだろうか?



遍路休憩所
 坂本屋 
【 さかもとや 】
 
(旧遍路宿)




愛媛県松山市窪野町甲 2019年11月2日・撮影


お接待 
そうめんと煮物



愛媛県松山市窪野町甲 2019年11月2日・撮影

呼び止められて、お接待のそうめんと煮物をいただいた。山の上からにおっていた。ホント。
とてもおいしく、ボリュームもあり、ありがたかった。感謝。
お接待は3〜11月の土・日だけのようだが、熱心に活動しているようだ。





久万高原 【 道の駅テンクの里 】

歩き遍路を順打ち(札所の番号順に巡拝すること)でまわっていると、同じお遍路さんとよく会うことがある。
休憩所だったり、コンビニ、食堂、札所はもちろんだが、なんのことはないその日の宿まで同じだったりすることがある。
「いやぁー、奇遇ですねぇー」なんてお互いに挨拶するが、遍路の歩くコースはほぼ決まっているし、しかも同じ方向に歩いているのだから、よく会うのは当たり前といえば当たり前で、別に不思議でもなんでもない。でも、やはりあまりに何度も出ッ喰わすと、なんだか特別な因縁でもあるような気がしてくるから不思議だ。

「“二度会う人は三度会う”っていうからね。だから、あんたとはもう一度会うよ。必ず会う。」と、その年配者お遍路さんは微笑みながら、だが、まるで予言でもするかのように自信を持って言い切った。
それを言うなら、「二度あることは三度ある」では? と思ったが、それはなにも言わないでおいた。
「いやー、それはないと思いますよ。私は今回はバスや電車も使う、飛び飛びのいわゆる繋ぎ打ちですから…」と私は言った。

▼深い霧が立ちこめた久万高原の道の駅でのことだった。……
……

(つづく)
 
 







銭形砂絵 【 ぜにがたすなえ 】 琴弾公園 
第69番札所 観音寺)



香川県観音寺市 2019年11月4日・撮影

観音寺の奥を登ると5分ほどで銭形展望台があり、この銭形砂絵が望める。
写真の左の白い点が乗用車なのだから、この寛永通宝がいかにデカイかおわかりいただけるだろう。

東西122mだそうだ。



五百羅漢 【 ごひゃくらかんぞう 】 第66番札所 雲辺寺



徳島県三好市池田町白地ノロウチ(香川と徳島の県境にある) 2019年11月5日・撮影


羅漢とは、釈迦のもとで悟りを開いた500人の弟子のことだそうだ。
雲辺寺には500体がそろっているという。
写真中央の像のように、ふくよかでにこやかに笑っている顔の人は少ない。
多くは恐ろしいほどに怖い顔や悲痛な表情をしている。



別格
第16番札所 萩原寺 【 はぎわらじ 】 本堂



香川県観音寺市 2019年11月5日・撮影


ハギが多く「萩寺」として有名だが、初冬で花はほとんど終わっていた。
四国には、八十八ヶ所以外に、別格として20霊場があり、合わせて108になる。
ちょうど煩悩の数となり、両方お参りすると108の煩悩が消滅するといわれている。
だが、別格霊場はあちこちに点在しているので、歩き遍路には頭を悩ませる問題だ。
でも、すでに別格が目に入り始めていることも確かだ。



第75番札所 総本山 善通寺 【 ぜんつうじ 】 本堂



香川県善通寺市善通寺町 2019年11月6日・撮影



お遍路さんで賑わっているように見えるが、今年(2019年)は少ないそうだ。
でも、外国人は多く、特にフランス人が多いそうだ。国名を仏蘭西とか仏国と書くくらいだから仏様に縁のある国なのだろうか…?
来年が閏年で、逆打ちでご利益3倍だそうだから、多くなるだろうとの話だったが、お遍路は年々減っている。

善通寺は、弘法大師空海(774〜835年)の御誕生所で、いうなれば実家である。子供の頃はここで遊び、学び、育った。しかも真言宗善通寺派の総本山なのである。
私は、過去に2回参拝している。そのとき、願掛けしたのである。
その願いごとが叶えられたようなので、今回はそのお礼参りに来たのである。というか、買ったばかりの念珠(御守護)を、願掛けした人に差し上げてしまったのだ。だから、もう一度自分用を買い求めに来たのである。
大師様お手植え(マツはそれほど長寿な樹木ではない…)誕生所の松材から作ったという誕生1250年記念の常磐念珠で、ひとつひとつの珠に般若心経が彫り込まれている。お値打ちものなのだ(少なくても私にはそう思える)。だから、瞬目大師御守護(めひきだいしおまもり)のときのように、完売、再販売予定なし、では困るのだ。
参拝した後、御影堂(大師堂)を見ると、念珠御守護はあった。私をちゃんと待っていてくれた。よかった。でも、私は正直を言うと、一瞬躊躇した。なぜなら、1個3000円なのである。こう言ってはなんだが、年金暮らしの貧しき老人には、ちょっとキツイのだ。でも、既定方針通り買い求めた。
外に出て箱を開け、すぐに左腕にはめた。そして御影堂地下の「戒壇めぐり」に入っていったのだ。
「戒壇めぐり」の中は、本当に真っ暗闇で、いくら目を剥いても何も見えない。幸か不幸か、このときは中には誰も入っていなかった。前にも後ろにも誰もいない。完全に私ひとりだった。
正直を言うと、年甲斐もなく暗い所が怖いのである。しかもここの「戒壇めぐり」では、奥殿真下の大師御誕生の聖地という場所で、かすかに明かりがともされていて、お大師様の諭しの声が流されるのだ。モンタージュボイスなのだそうだが、その声は低く、野太く、ゆっくりと語りかけるように話し、魂にしみ入るようだった。
諭しの言葉というか内容は、実に簡単でわかりやすく、こう言っては失礼だが、当たり前のものだった。要するに、自分の人生を大切に生きなさい、ということだった。
だが、私は、何か今までには感じたことがなかったような、新しいものを感じていた。それが何であり、どんな言葉で表されるものかよくわからなかったが、四国八十八ヶ所を回り終え、お遍路から帰ってきてしばらく経った今は、それが何なのかわかるような気がする。
それは「結縁」というもののような気がする。畏れ多いことだが、お大師様との「結縁」という意味である。お大師様と私はご縁によって結ばれた。いや、お大師様は私とご縁を結んでくださった。私は実感として今そう感じているのである。


善通寺 【 ぜんつうじ 】 善根宿

ph

香川県善通寺市善通寺町 2019年11月6日・撮影



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