●2018年 沖縄離島の旅 南大東島・北大東島
遂に、“絶海の孤島”といわれる南大東島、北大東島へ行った。もちろん那覇から船(フェリー)で。 沖縄本島から東へおよそ400km、太平洋上にポツンと浮かぶこの島は、まさに離島中の離島であった。 |
出港【 那覇泊港 】夕方17:00発
沖縄県那覇市泊港 2018年11月20日・撮影
大東海運の貨客船「だいとう」は690トン、旅客定員55名。フェリーとしては小さい。写真右側のクレーンが写っている桟橋から出港した。 |
ゴンドラでの下船【 北大東島西港 】朝8:00着
沖縄県島尻郡北大東村 2018年11月21日・撮影
この日の運航スケジュールは、南大東島先航だったが、天候や波の関係で、北大東島先航に変更になっていた。どちらの島に先に立ち寄るかだけのことのようにも見えるが、いろいろ難しい問題があるのだろう。まあ、こういう変更はごく当たり前に日常的にあるそうだ。) |
入港【 南大東島 西港 】昼11:00着(予定では10:00着)
沖縄県島尻郡南大東村 2018年11月21日・撮影
(船を岸壁に近づけている。)
下船、ゴンドラに乗る【 南大東島 西港 】
沖縄県島尻郡南大東村 2018年11月21日・撮影
南大東島で下船する乗客はたった6人だった。有名なゴンドラ下船も別にどうっていうことはなかった。 |
民宿【 南大東島 】
沖縄県島尻郡南大東村 2018年11月21日・撮影
事前に3泊は予約しておいた。だが、まさかここに連続6泊することになるとは思いもよらなかった。 素泊まり1泊2500〜、3泊目から2000円。この3泊目からのお値段が魅惑的なのです。もちろん個室でテレビ付き。無料の自炊設備、冷蔵庫、シャワー、洗濯機、蚊取り線香あり。 たぶん南大東島で、一番安い宿だろうと思う。歩いて行ける範囲内に、商店やスーパー、食堂や居酒屋、スナック、カラオケ、ゲームセンター、郵便局もある。 宿の男性が車で港まで迎えに来てくれた。部屋に案内されると、後で係の女の人が来るから、まあ“きらく”にやってください。と、ダジャレを言ったので、オイラも「サブッ、南大東島も…」と受けてやると、双方で笑い合った。でも、それだけだった。 携帯で延泊の連絡をしたりはしたが、係の女の人も、男性もついぞ来なかった。 完全に放し飼い状態だった。いや、長期滞在らしいおバアが1人、なにげなくオイラを監視しているようにも見えた。シーズンオフだからガラガラかと思ったら、あにはからんや、ほぼいっぱいだった。泊まっているのは工事の人や業者のようだった。でも、ここは静かだった。夜、寝泊まりに帰ってくるだけのようだった。 まあ、オイラは近くのホテルのレンタサイクルを借りて、毎日ひたすら島内をすみからすみまでめぐっていたのである。 |
長い間に地殻変動で岩が裂けてできたのだという。人がやっと1人通れるくらいの狭い所や、トンネル状の場所もあり、何かあったらかなり危ない。 |
遊びじゃない。本気度100%で、気合いが入っていた。名誉と賞品?がかかっている雰囲気だった。 |
島の中央部には大小の池がたくさんある。島はドーナッツ形の環状サンゴ礁(環礁)が長い間に隆起してできたそうだ。中央部のくぼんだところには雨水などがたまり、サンゴ礁の主成分は石灰岩だから、水に溶けて鍾乳洞や池沼をつくったのだという。 |
かつて食料にするため池に放したそうで、今では増え、パンなどのえさを投げると群れをなして集まってきた。どんな魚か、試しに釣ってみた。竿なしの糸と針とおもりだけだったが、ビールのつまみにと持ってきたチーズを丸めてえさにしてみたら、もう入れ食い状態だった。 |
とにかく巨大。立派なものだ。これでまだ完成(完了)ではないのだそうだ。 日本唯一の岩盤堀込み式漁港だそうで、これと同じ規模の漁港が北大東島にもある。そちらはもう完成している。 南大東漁港は平成元年に工事が始まり、総工費300億円だという。ウーン。島内の漁船は約40隻。といっても漁業従事者は専業約10人、兼業も含めて約40人だそうだ。その割にはあまりにも漁船が停泊していない。 10年後、20年後にどうなっているのか楽しみだ。まあ、その時オイラはこの世にいないのだから、どうでもいいことか。そんな捨て台詞のひとつも言ってみたくなるような漁港だった。 左奥に見えるのが北大東島。 |
島内にはかつて鉄道が敷かれていた。最盛期には総延長は30kmに及んだという。サトウキビを運ぶトロッコ列車というか軽便鉄道だが、歴とした蒸気機関車で、後にはディーゼルも走り、人も乗せていたらしい。昭和58年(1983)まで動いていたそうだ。 今も所々に鉄路が残っているが、往時の面影はない。 |
明治18年にはじめて日本国標が建てられ、明治33年(1900)に開拓が始まった。そもそも無人島だったのである。 はじめに開拓者として入植したのは伊豆諸島の八丈島の人たちだった。そのためか今も神社がある。 毎年9月にはここで祭が行われ、相撲が奉納されるそうだ。八丈島と沖縄の文化がミックスしているという。 |
さびれているように見えるが、小さい島のわりには食堂や居酒屋、スナックなどの飲食店が多いような気がした。最終日に夕飯のつもりで1軒だけ入ってみたが、いつの間にやら人が増え、どこからともなく女の子が来ていて、店の手伝いや客の相手をしていた。そして夜が更けるほどにスゴイ盛り上がりだった。ボトルのキープが泡盛の一升瓶というのにも驚いた。いずれも工事関係の人のようだった。 |
船が来ないのだから、飛行機に乗るしかない。 |
南大東島と北大東島の固有種で、どこにでも生えていたのだろうが、今ではもうあまりたくさんは見かけない。開拓、開墾によって伐採され、材木として使われたのである。 北大東島は可能なほぼすべての土地が圃場(畑)に整備されたという。ほったらかしで草ボウボウの休耕地や耕作放棄地などひとつもない。ホント。 島は、もちろんご多分にもれず、人口は減少しているし、高齢化も進んでいる。でも、若者も入り込んで来ているのだという。どういうことなのか、どうも理解しがたいが、事実なのだという。一時的な現象なのか、何かおいしい仕掛けというか、裏があるのだろうか。いや勘ぐりすぎはよくない。 最近は、“田舎へ行って一旗揚げよう”という若者が増えてきているのだそうだから。不便なところのほうがかえって稼ぎやすく、住みやすいと感じる人がいて、実際暮らしやすいのかも知れない。真面目で優等生的なまともな発想ではもうどうにもならないのが現代という時代らしいから、分からないでもないが…。 とりあえず「限界集落」ならぬ「限界離島」への危機からは免れているようだが、島中の圃場整備が終わり、巨大漁港も完成し、これから大物公共事業もそうは考えられないような気もするのだが、果たしてどうなるのだろう。いや、島はもうすでに富んでしまっているのかも知れない。いや、富はすでに流失し始めているのかも知れない。 まあ、通りすがりの2泊3日の観光老人が心配することではないだろうが、なんとなく不安がよぎるのである。 ちなみに北大東島の面積は約13km2、人口は約600人だそうだ。規模は南大東島のおよそ3分の1だという。 蛇足になるが、大東諸島には、南大東島のはるか南方150kmに沖大東島(ラサ島)がある。全島が企業の私有地で無人島だが、行政区域は北大東村であり、現在、米軍の射爆撃場になっている。もちろん村長も総理大臣もまだ上陸できていないと思う。もしかしたら地主も…。 |
もちろん帰りも飛行機となった。船(フェリー)はまったく当てにならなかった。 電話での前日購入は、北大東空港から那覇まで、25,600円だった。ワォッー!(^o^) |