2016年・奄美大島、徳之島、喜界島の旅

蒲生神社と狛犬 【 がもうじんじゃ 】







鹿児島県奄美市蒲生崎 蒲生神社 (奄美大島)  2016年3月5日・撮影


平家の落人伝説によれば、この地まで逃げてきた平有盛により蒲生佐衛門が源氏警戒のため蒲生崎に配され、後に蒲生左衛門を祀ったという。それにしても平家の落人伝説というのはこんな南の島にも残っているのだから、すごいというか、いったい何なんだと思ってしまう。




笠利崎灯台 【 かさりさき 】



鹿児島県奄美市笠利町 (奄美大島の最北端)  2016年3月5日・撮影




田中一村終焉の家 【 たなか いっそん 】



鹿児島県奄美市 (奄美大島)  2016年3月5日・撮影

田中一村




泉重千代翁之像 【 いずみ しげちよ 】



鹿児島県大島郡伊仙町 (徳之島)  2016年3月8日・撮影
(あやかりたいものだか、とても無理だろう……)



製糖工場 【 せいとうこうじょう 】



鹿児島県大島郡伊仙町 (徳之島)  2016年3月8日・撮影




犬の門蓋のめがね岩 【 いんのじょうふた 】



鹿児島県大島郡天城町 (徳之島)  2016年3月8日・撮影
(上を歩いている人は、実は下が見えて道が細いので、すごく怖い。)




ムシロ瀬 【 蓆瀬 】



鹿児島県大島郡天城町 (徳之島)  2016年3月8日・撮影

奄美の島の海岸としては、珍しく花崗岩が露出している。





湾港・大衆酒場 【 わんこう 】



鹿児島県大島郡喜界町湾港 (喜界島)  2016年3月11日・撮影


時化で船が着く港は、喜界島の西側にある湾港から、東側の早町港にあっさり変わった。港に行くとA4の紙が1枚貼ってあるだけだった。「これでええんよん!」という感じだったが、旅行者にはたまったもんじゃない。地元の人はよくあることというか、当たり前のようだった。だから、夜11時発の船が出るまで、ここの居酒屋(店の名前が「大衆酒場」)で3時間も粘った。
酔っぱらったあげく、タクシーを呼んでもらって早町港まで送ってもらった。それしか方法がないのだからしょうがない。でも、そのタクシーのドライバーが楽しいこと、おもしれーこと、とっぽいこと、まあここにはとてもじゃないけど書けないけど、延々と話し込んでしまった。
この夜は忙しく往復して、稼ぎもよかったのか、オイラが桟橋で下の写真を撮っていると、でっかいクラクションを“3発”も鳴らして猛スピードで走り去っていった。




喜界島・早町港 【 そうまちこう 】



鹿児島県大島郡喜界町早町港 (喜界島)  2016年3月11日・撮影



奄美大島へ行った。南から西から始まった南の島めぐりの旅も、いよいよ奄美諸島まで来た。今回は徳之島、喜界島も回り、加計呂麻島にも渡った。
奄美大島に格安航空のバニラが飛んでいるとは知らなかった。だからというわけではなかったが、鹿児島新港からフェリーで行った。夕方6時に出港して、奄美大島の名瀬港には翌朝の5時に入港する。実際にはかなり遅れが出ていたが、船中泊11時間の船旅である。もちろん2等和室。といえば聞こえはいいが、一番安い雑魚寝の大部屋である。
この日の往路の船はマリックスラインの約6000トンの中型船だったが、ゆっくり大きく揺れた。でも、ゲボは吐かないですんだ。別会社のマルエーフェリーでは8000トン級の大型の船も日によって航行しているが、とにかく6日の鹿児島マラソンを避けるために、早めに船を選ばず乗り込んだのだ。マラソン大会にブチ当たると、とにかく宿はない、交通規制はしかれる、街中が人だらけになる。(笑) あるマラソン大会で、ばあさんが、「こんなたくさんの人を見たのは生まれて初めてだ。どこからわいてきただ」と言っていた。
島では超安のゲストハウスや素泊まり民宿に泊まり、これまた格安の軽のレンタカーを借りて走り回った。結構こまめに観光したつもりだったが、やはり十分には回りきれず、肝腎の所を逃していた。
ひとことで言って、「奄美大島は大きい!」。面積712km
2、周囲461kmなのだから当たり前か。


 
 (つづく、かな・・・)
  (やっぱり、つづきませんでした。)

(2015.3.21更新)




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