◎四国八十八ヶ所遍路 (伊予の国から讃岐の国へ)
第54番 延命寺〜第77番 道隆寺まで (2017年11月7日〜16日・9泊10日)
お大師ミラクルは…
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今回のお遍路は前回の5月の続きとして、JR予讃線大西駅から歩き始め、第54番延命寺から第77番道隆寺まで、24寺を巡礼した。なかでも第58番仙遊寺、第60番横峰寺、第66番雲辺寺は、いずれも山中の寺で、遍路道は登山道になる。一応歩き遍路だから、なんとか自力で登るには登ったが…。 最終日は、帰りの松山からの飛行機に乗り遅れたら大変だから、土讃線善通寺駅から77番道隆寺のある多度津駅までの2駅は電車で移動した。 それ以外にも、内緒だが、どうしようもなくなったとき、ちょっとだけ、ほんとちょっとだけだよ、バスやロープウェイの下りだけや、宿のお迎えの車に乗った。へへへぇ…(^o^) |
遍路道には、時々“お接待”ならぬ“お節介”という厄介な者が出没する。 これにぶち当たって惑わされると、ペースが乱されるのはもとより、いろいろ歯車がかみ合わなくなって、とんでもない失敗をしでかすことになる。 第59番国分寺から第60番横峰寺へは約30qある。今治市から西条市へとひたすら南下する。1日で横峰寺まで行くのはオイラでは無理だから、その手前のどこかに泊まらなけらばならない。国道11号線沿いにある、ある温泉の宿を予定していたのだが、昼をとっくに過ぎたというのにまだ予約の電話も入れてない。 時間のことも考えずに、呑気に遍路道途中にある番外の栴檀寺(世田薬師)とか、臼井御来迎とか、日切大師、光明寺までお参りしたのだから、どんどん遅れていく。 このあたりから、遍路道はよく曲がる。田園地帯に入るので目安になる物も少なくなる。いつの間にか道しるべの「へんろシール」を見失う。 地図を広げてあちこちきょろきょろしてると、どこからともなく人が現れてきて道を教えてくれる。やはり見守られているというか、どこかで見られているのだろう。 「ああ、またお遍路さんが迷子になってるよ!」と、近所の人が道案内の“お接待”に出てきてくれるのである。だが、このときは、あの“お節介”のほうが出た。 地元のサイクリストの中年の男性だった。わざわざ自転車を止めて、「今からじゃあ横峰寺へはとても無理だから、順番を変えて先に61番の香園寺へ向かったほうがいい。そうすれば62番の宝寿寺も打てるよ」と親切に教えてくれた。ありがたいことだが、かなり力説してくるし、こう言っちゃあ悪いが、押しつけがましいのである。 「だいたい横峰寺へ行くにしても、だいぶ方向がちがうよ。あっちなんだから」と指をさす。確かにそれはオイラも気づいていたが、彼が言っているのと私が登ろうと予定しているのは、別の登山口なのである。オイラは147号線の妙谷川沿いから登ろうと思っていたのである。 先ほどから、かなりのハイスピードで、しかも結構大きなザックを背負って、黙々と歩く年輩の男女4人組がいた。何となく気になっていた。年甲斐もなく意識していたのかもしれない。でも、話などしなかった。私が一休みすると、あっさり追い越された。何となく無視されたような感じがした。張り合うつもりは毛頭なかったが、やはり気持ちはチョット張り合っていたのかもしれない。でも、歩く速さが全然違っていた。私はすでに疲れていた。 サイクリストはどこをどう回って戻ってきたのか、先を行った4人組にもまた道順のアドバイスをしていた。彼らは、かの温泉に今夜の宿を予約してあるそうだ。だからサイクリストの話は適当に聞いて、疲れ果てている私にお接待のアメやお菓子をくれて、さっさと先を急いで行った。彼らは全然ブレていないのである。予定の行動なのだ。 取り残された私に、またサイクリストが言った。「61番の香園寺を先に廻ったほうがいいよ」と。 オイラはどちらにしようか完全に迷ってしまった。おまけに焦り始めていた。ブレブレにブレた。要するに今夜の宿が決まっていないのだから、道順が決められるわけがない。どうしたらいいのか解らなくなってしまうのは当たり前なのである。オイラはすぐにかの温泉の宿に電話した。 だが、1人部屋は満室で2人部屋を用意できますというので、値段をきくと、素泊まりでも結構値段が高い。迷った挙句、何となく足下を見られたような気がしたので、や〜めた、と決めた。 そして、素直にサイクリストのアドバイス通り、61番の香園寺を先に打つことに順路変更した。このとき、順打ちの原則は破られた。臨機応変、状況に合わせて、より効率のいい道順に切り替えたのである。(ものは言いようだな) オイラはすぐ伊予小松駅近くの旅館に電話した。満室だったが別館なら空いてますからそれでよければ、という。オイラは別館がどんな部屋かも、料金も聞かずに、藁にもすがる気持ちで、それでお願いしますと叫んだ。 そうしたら、旅館の人は、「“四国値段”でやってますから…」と言ってくれた。そして、「今どの辺まで来てますか?」ときかれた。「えーと…」。オイラは自分が今いるこの場所を、相手にはっきりと客観的に伝えることが結局できなかった。我ながら愕然とした。「田園地帯の真っただなかで、よく分からないんですが、三叉路になっているところなんですが…」、これでは小学生以下である。大まかな地名さえ把握していなかったのである。 相手は「宿は少し移転してますから、近くまで来たらまた電話くださいね」と言ってくれた。 安心した。サイクリストは、決して“お節介”などではなく、チョット熱心すぎる“お接待”の人だったのだ。 だが、順路を変更したとたん、詳しい地図を持っていないせいか、ここがどこなのかすぐわからなくなる。要するにすぐ迷子になるのである。遍路道から外れたため、「へんろシール」がない。いかに遍路シールに頼った歩き方だったかよく分かった。また、順打ちがいかに楽か思い知った。 ここはここなのであり、山の中とか道がないとか霧の中というわけではないのだから、別に問題なさそうな気がするが、現地点が地図上のどこなのか確認できない状態になるのはかなりつらい。右へ行けばいいのか、左へ行けばいいのか、真っ直ぐなのか、はたまたうしろへ戻るべきなのか、それさえ分からなくなってしまうのである。 まあ、簡単に言えば“方向音痴”になるということだが、ただひたすら歩き続けていると、思考力がなくなるというか、頭の中が空っぽになり、無心というか無我の境地に近づくような気がしたのだが。(それは考えすぎだよな。) やはり真面目に地図と方位磁針を持ち歩かなければいけないのだろうな。 部分逆打ち、近道、ルート変更では、詳細地図は必携ということだな。 まあスマホ持っていればいいのだろうが、未だガラ携のらくらくホンで〜す。 旧丹原町を通り、今治小松自動車道のいよ小松ICを目印にして進み、中山川を渡って旧小松町に入り、やっと香園寺にたどり着いたのは納経所が閉まる5時直前だった。もちろん窮余の策として先に納経を済ませたのだが、本当にぎりぎりだった。 コンクリート造りの近代的な大聖堂でお参りして、外に出ると、人はもうひとりもいなかった。まさに初冬の日が暮れようとしていた。 それから、真っ暗になった小松の町の中で、もう何度となく道に迷った。何度も人に尋ね、コンビニにも駆け込んだ。どの人も親切に、丁寧に教えてくれた。ありがたかった。だが、その都度、暗い夜の遍路道で迷っている自分が、何か大きな道に迷っている自分の影のように見えてならなかった。 |
「ビジネス旅館小松」の親父さんが推薦する最も解りやすくて楽で危なくないというコースを、もらった手書きの地図をたよりに登った。 石鎚山ハイウェイオアシスと常磐砕石場の横を通り、やがて林道から分かれて山道に入り、上の方で香園寺奥之院から登ってくる遍路道と合流する。だからロケーションはあまりよくないが、林道のような道を徐々に登っていくので確かに楽で、この道では誰にも会わなかった。でも、古い道標や石仏が所々にあったから、やはり昔からの遍路道なのだろう。 この宿は急遽泊まることにして、結局2連泊したのだが、肉屋さんが経営していることもあって、とにかく肉料理がスゴイことで有名。 1泊目は豚鍋(実際は豚しゃぶという感じ)、2泊目の人はなんとすき焼きなのである。すき焼きっちゅうもんは“牛肉”だということは知ってるよな。 肉の量が多いだけでなく柔らかくてとにかく旨い。野菜もすごい量で、はじめ見たときは、これは食いきれないだろうと思ったが、ビールや旨い地酒が手伝ってか、何のことはない全部たいらげてしまった。 きれいで小洒落た新館もできていて、食事はそちらで大勢で和気藹々だった。あちらこちらで遍路友達ができて盛り上がっていた。 もっとも当日電話予約のオイラは、満室のため旧館というか古いビジネスの1DK風の部屋だったが、まあその方が落ち着いてよかった。 |
星が森 【 第60番 横峰寺 】
愛媛県西条市小松町石鎚 2017年11月10日・撮影
遍路道 【 檜林 】 第60番 横峰寺から
愛媛県西条市小松町石鎚 2017年11月10日・撮影
遍路道 【 キバナコスモス 】 第64番・前神寺近く
愛媛県西条市州之内 2017年11月10日・撮影
第65番 三角寺 【 山門 】
愛媛県川之江市金田町 2017年11月12日・撮影
愛媛県川之江市金田町 2017年11月12日・撮影
(首をかしげているように見えたのだが…)
*未・スーパーホテルに救われる。天然温泉、朝食付きで遍路割引が\4700
第66番 雲辺寺 【 921m 】
徳島県三好市池田町 2017年11月13日・撮影
(住所は徳島県だが、讃岐・香川の一番目の札所とされる。標高は八十八カ所のうちで最も高く、「四国高野」と呼ばれる。)
*未・山頂で日没、こまった遍路爺さん、民宿青空へ*
とっぷりと 日は暮れていまだ 雲辺寺 (自作)
五百羅漢 【 第66番 雲辺寺 】
徳島県三好市池田町 雲辺寺 2017年11月13日・撮影
(五百羅漢とは、釈迦のもとで悟りを開いた500人の弟子のことで、羅漢は人としての最高の境地だという。
だが、顔の表情や形相はかなりユニークというか、恐ろしい怖い人もいる。)
境目(さかいめ)トンネル 【 R192 】
愛媛県三好市 徳島県四国中央市 2017年11月14日・撮影
(*未・観音寺市藤川旅館泊、メインディッシュはマテガイのバター炒め、2食付きで\5000*)
第75番 善通寺 【 本堂 (金堂) 】
香川県善通寺市 2017年11月15日・撮影
【 五重塔 】
香川県善通寺市 2017年11月15日・撮影
【 御影堂 (大師堂) 】
香川県善通寺市 2017年11月16日・撮影
宿坊の10畳の部屋に1人で泊まり、大師温泉に入り、朝の勤行、戒壇巡りに参加して、2食付きで締めて6100円。これはいい。 そんなことではない。善通寺には、お礼参りに来たのである。かつてオイラはここで2回目のお大師ミラクルを経験した。 それが本当に奇跡のようなことだと分かったのは後になってからのことなのだが、切なる願いだったある人の病気平癒は確かにかなえられたようなのである。 だから、図々しくも、もう1回、今度は別の人なのだが(いろいろあちこち忙しいのです)、どうにか、なんとか、ぜひ、よろしくお願いしたいと、またお参りに来て、御守護をいただこうと思ったのである。 ところが背後のお釈迦様から暁光が輝く効きめ百倍のあの「目瞬(めひき)大師御守護」はもうなく、今後の発売予定もないとのこと。ガックリ。ああ、参ったなあ〜。 仕方ない、といったら罰当たりだが、その代わりにといっても罰当たりなのだが、お大師様誕生地の松材を使った念珠御守護を買い求めた。1つ1つの珠に小さな字で般若心経が彫ってある。腕にはめると、何ともよくなじんで感触がよく、それこそいつも守られているような感じがする。 うむー、これを人にあげるのはもったいない、オイラが使おう。なんて、正直をいうと、ふとどきにも2日間ほどそう思って身につけていたが、その人の家に見舞いに行ったとき、普通の御守護を差し上げた後、その念珠お守りのことを話すと、その人はオレの腕の念珠をじっと見たまま、目を離さない。目が念珠に釘付け状態になっていた。欲しいとはいわないが、目は執拗に念珠を追いかけ、欲しそうな目をする。念珠がその人の目を引きつけているというよりは、もう念珠自身がその人の腕にいきたがっているかのようにさえ感じられた。 オレは根負けした。その人の病気平癒を祈願して、その念珠をあげた。 |
お大師ミラクルの発端2009年の四国遍路
第77番 道隆寺 【 本堂 】
香川県仲多度郡多度津町 2017年11月16日・撮影
(歩いているおじさんはお接待のせんべいを配っていた。オイラにもくれた。)
(2017.11.0更新) |